西国三十三所三番札所粉河寺

粉河寺縁起絵巻(国宝)』で伝えられている草創の縁起には二通りの説が伝えられています。1つ目は粉河寺の草創と千手観音の由来に関するものであり、2つ目は千手観音の霊験説話に関するものです。このような説話から分かることは、粉河寺が平安時代には朝廷や貴族の保護を受けて栄えていたと言うことです。
770年の開創で、その当時の粉河寺は多くの人達から信仰をうけており、鎌倉時代には、東西南北各々四キロ余の広大な境内を誇っていました。しかし、1585年、豊臣秀吉の兵乱により多くの寺宝を焼失しました。その後、紀州徳川家の寄進により、現存の諸堂が完成しました。
粉河寺への参拝は、公共交通機関だと、JR和歌山線粉河駅で下車し徒歩15分ほどで粉河寺に着きます。
自家用車でも比較的簡単に訪れることができます。自家用車の場合、ナビゲーションに粉河寺を入れても、駐車場が分かり難い場合があります。
逍遥紀行の西国三十三所巡礼 粉河寺のサイトには、自家用車で粉河寺の駐車場までの行き方を動画を用いて案内しています。巡礼前には、忘れずにチェックされることをお勧めします。